中国周遊 2007年5月10日〜5月24日  
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2007年5月21日〜24日 杭州
2007.5.23(水)
西安3日目



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長安城堡大酒店(ANAグランドキャッスルホテル)朝食
西安市内地図

5月23日 小雨 長安城堡大酒店(ANAグランドキャッスルホテル) 8:00起床・ラジオ体操 
9:00一階レストランで朝食、和食が出ると聞いていたのだがあまり種類がない。
部屋に帰り又少し寝る。11:00フロントで2万円を元に両替

バス乗車賃2x2=4元とても安い

城壁南門前バス停から31番に乗車して何処で降りるか不明のままでいたが、たまたま乗り合わせた人が青龍寺を知っていて下車駅を教えてくれた。そこから10分ほど歩くと青龍寺裏門に出る。
空海が滞在したお寺に感慨ひとしお。  
 青龍寺拝観料10x2=20元 

弘法大師修行寺
西安・青龍寺へ
青龍寺
(せいりゅうじ,しょうりゅうじ)は、陝西省西安市南郊の鉄炉廟村にある仏教寺院。弘法大師空海ゆかりの寺として知られている。その故地は、唐朝の都、長安城においては、左街の新昌坊に当たる場所であった。
創建は、隋の開皇2年(582年)であり、当初は霊感寺と呼ばれた。初唐の武徳4年(621年)に一度、廃寺となったが、龍朔2年(662年)に再建され、観音寺と改められ、景雲2年(711年)青龍寺と改称された。
唐中期には、恵果らの密教僧らが住持するようになり、入唐留学僧たちとの関係が生まれた。空海は恵果に学び、天台宗の円仁や円珍らも恵果の法系に連なる法全に就いて密教を学んだ。
会昌5年(845年)、会昌の廃仏によって再び廃毀された。しかし、大中6年(852年)には、いったん復興を果たし、護国寺と改められている。ただ、唐末五代の動乱によって、都の長安は急速に寂びれてしまった。そのため、以後三たび姿を消すこととなった。1982年以来、西安人民政府が、青龍寺の遺址と伝承されてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘し、この地がいにしえの青龍寺であったことを確かめ、復興され、そこには空海記念碑、恵果・空海記念堂が建つ。また、元四国霊場会会長蓮生善隆(善通寺法主)により四国八十八箇所の零番札所と名付けられた。

ゆっくり寺内を見学、四国の人が多く来ているようでいたるところに四国各県から来た人たちが送ったと思われる記念植樹とか石塔などが寄進されていた。

弘法大師ゆかりの
札所紀行へ⇒

本堂に入ると中国人女性が日本語で案内を始める。
ボランティアの人かと思い黙って説明を聞く、説明が終わると本堂内横の派手な陳列の別室に案内され来院署名を求められ沢山の日本人の署名があるので最後の欄に署名する。陳列した記念品を買わせるため方便だったようだ。

本堂奥の部屋で納経帖(300元)に記帳する。

「ここで空海は修行をして『四国八十八ヶ所』を開いたわけで言ってみれば0番『札所』のようなものです」と納経帳を勧められる、空海が滞在したお寺でもあり、高い(300元)とも思ったがお賽銭と思い購入する。空海の風信帖のコピー(200元)も一緒に購入。現金の持ち合わせなかったがホテルに届けてくれると言うのでお願いする。

青龍寺

1981年、日本仏教界は青龍寺の境内に、空海記念堂と空海記念塔を建立した。




元のバス停に戻り31番バスに乗って城壁・南門で下車し最後の街歩きをする。
 西安は昔、長安と呼ばれ、中国の古都として三千年以上の歴史をもつ。中国と日本は、唐時代には日中両国の往来は極めて頻繁に行われ、日本はたびたび留学生と留学僧を含む遣唐使を長安に派遣していた。阿倍仲麻呂は長安に54年も住み、宗教と文化の伝播と日中両国の友好のために貢献した。空海(弘法大師)は青龍寺で密宗の法を受け、密宗文化を一心に学び、漢学の研究にも力を入れ、その造詣は非常に深い。また西安は革命の伝統を持つ都市でもあり1936年12月にここで中国現代史上でも有名な“西安事変”が発生した。改革開放以降、古い都市である西安は大きく変化し、国務院は西部大開発を実施した。今日の西安は世界的に有名な観光都市で、無数の歴史遺物、中国西北部の雄大な自然風景、伝統的な民族風情が西安の独特の観光資源を構成し、外国人観光客を引きつけている。兵馬俑、法門寺、西安碑林、陝西歴史博物館、西安古城壁など「十大観光スポット」は、いずれも「中国の最たるもの」と称される。秦の始皇帝陵と「世界第八大奇跡」と称される兵馬 はユネスコによって世界文化遺産リストに登録されている。By AraChina
西安・城壁南門

西安城壁は古代都市の風貌を体現する明代(1774-1378)にかけて、唐代の王都の城壁を基礎に作ったもので、円周が13.74メートルで、壁の高さが12メートルあり、中国に現存している古代の城壁の中で最も完全なもの。1983年から陝西省と西安市人民政府は城壁に対して大規模な修繕を行い、取り壊された東門、北門矢楼、南門閘楼、吊橋を建て直した。それにより輝きが甦り、西安の一大観光名所となっている。

西安・城壁脇裏通り

西安・城壁南門近くにある書院門をくぐると骨董品など並ぶ古文化街で、通りの中ほどには西安文理学院(大学)がある。


ホテルに帰って部屋で休んでいるとドアをノックする音、出ると青龍寺で記帳した丸刈りの人が納経帖と風信帖のコピーを届けに来たのだった。500元を支払い受け取る。

今日も夕食はルームサービスにする。ルームサービス夕食144  最後の荷作り。

2007.5.24(木)
西安
成田
  5月24日晴れ 帰国
Mが最悪の体調(高血圧)まま続けた中国旅行だったが、いよいよ帰国の日。8:00起床最後の朝食後荷作りする。
11:00一階フロントでお世話になった圓さんにチェックアウトお願いする。ホテル入口で記念写真を撮りる。
心付けを渡すと、固辞されたのだが滞在中M体調気遣ってとても助かった事よくお礼を言って受け取ってもらった。



圓さんに送られてゆっくり鐘楼近くのシャトルバス乗り場へ向かって歩く。12:00発のバスがあったが表示を見間違いで空港シャトルバスに乗りそこねてしまう。近くにいた係員に相談、空港まで100元でタクシーを手配してもらいあわただしく空港へ向かう。しかし乗ったタクシー運転手が未熟で素人っぽい人手、居眠り運転し始め冷や冷やしながら大声叱咤しながらなんとか、西安咸陽国際空港に着く。


日本人団体客でいっぱい。 慣れない中国出国手続きに戸惑いながらやっとチェックインして出国ロビーへ.。



西安咸陽国際空港15:05発JAL600便に搭乗
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北京一
北京二
西安一
西安二

15:05JAL600便発〜20:40定時成田空港到着。
21:16の電車で帰る。
Mが最悪の体調のまま2週間よく頑張って無事に帰ってきたと思う。明日は早速病院へ連れて行くことにする。

中国周遊
終
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